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KOBEZINE

INTERVIEW

2024.7.30

「神戸の元気はミナトから」早駒運輸渡辺社長のあくなき挑戦

Text_山﨑 謙 / Edit_伊藤 富雄(カフーツ) / Photo_相澤 誠(ADW Inc.)

1867年1月1日、外国船が停泊する港として開港した神戸港。大型船が入港し接岸・離岸する際には、タグボートが船を引き、岸壁につけばロープでつないでおく作業が必要です。

早駒運輸は1885年に神戸で創業。港に入る船を引っ張る曳船(えいせん)事業、船を係留する繋離(けいり)船事業をはじめとした港湾サービス事業を行っています。来年、2025年に創業140年を迎えます。

現在は港だけに留まらず「港湾から神戸、そして兵庫の“早駒”へ」のキャッチフレーズのもと、さまざまな事業領域に進出しています。

そのかじ取りを担っているのが、5代目代表取締役社長の渡辺真二(わたなべ・しんじ)さんです。

もはや港湾サービス業の会社とは思えないほど多岐に亘る事業を広げてきた渡辺さんのバイタリティはどこにあるのでしょうか。詳しくお話を伺いました。

早駒運輸株式会社 代表取締役社長 
渡辺真二(わたなべ・しんじ)

1966年神戸生まれ神戸育ち 甲南大学経営学部卒業後 1990年に早駒運輸株式会社に入社
2005年より代表取締社長に就任

多角化のきっかけとなった「神戸シーバス」

渡辺さんが早駒運輸に入社したのは1990年、23歳の時でした。

最初に手掛けたのは1993年にできたハーバーランド、メリケンパーク、ポートアイランド北公園、六甲アイランドの4つのステーションを船で結ぶ、神戸で初めての海上バス「神戸シーバス」でした。

渡辺さん「早駒運輸という会社は、陸に上がることなく、港界隈の仕事をずっとやり続けてここまできました。タグボートは姫路、加古川、水島など瀬戸内海でもやらせていただいていますが、とくに神戸という場所は創業の地でもあり、こだわりがあります。

長年、港湾の物流の仕事の支えをさせていただいているんですが、港湾の仕事は成長産業ではなく、時代を担うという観点では次の勝負手をやっていく必要があります。

そのためには『物流の神戸』に加えて『人流の神戸』ということで、人が集まるウォーターフロントにするにはどうしたらいいかを常に考えています。その中で拠点となるのが観光船『boh boh KOBE』です。」

観光船「boh boh KOBE」は今回お話を伺っている「サロン・ド・エルミタージュ」がある中突堤中央ターミナル「かもめりあ」前5番のりばから出港します。臨時便を含めた5便体制で、60分クルーズが最大4便、夜の最終便はポートアイランドをぐるっとまわる90分クルーズとなっています。

そのさきがけとなったのが、新しい交通機関として市民の足を目指していた「神戸シーバス」でした。

渡辺さん「入社3年目、まわりは大ベテランの社員ばかりの中、いきなり取締役になったのでプレッシャーもあったんですが、この『神戸シーバス』という事業をやり切ることで、会社の中で自分の信用というものができあがっていったと思います。同時に、会社にとっても私にとっても非常に大事な歴史だと思っています。」

「神戸シーバス」を立ち上げた最初の1年、渡辺さんは20年、30年勤めている人たちに示しがつかないと4日しか休まなかったそうです。

長年勤務している人たちを飛び越えて取締役になる重圧。家業を継ぐ宿命。同じ立場にある安藤編集長も大きくうなずいていました。

震災により市民の足に、その裏にあった決断

その「神戸シーバス」は、1995年1月17日の阪神・淡路大震災による神戸港の壊滅的な被害により、運航ができなくなってしまいます。

ところが、阪神間の鉄道が被害を受け運行休止に陥る中、ハーバーランドから海上を経由してポートアイランド、六甲アイランドへの市民の足として活躍することになります。

渡辺さん「震災翌日1月18日の14時ごろに神戸市役所に来てほしいと電話がかかってきたんです。エレベーターが動かないので20階にある港湾局まで階段を登って行ったところ、『ポートアイランドにある神戸シティエアターミナル(K-CAT)まで船を出してほしい』と。

神戸には海外の方が多くいらっしゃって、神戸から脱出したいという声がとても多かったんです。

ただ当時は神戸空港がなく、ポートアイランドの東側に『K-CAT』という関西空港との間を『K-JET』という高速船で結ぶ港があったんですね。

『K-CAT』も関空も被害は少なく問題なかったんですが、その『K-CAT』に行くまでの神戸大橋が被害を受け、車はもちろん、ポートライナー(注:三宮とポートアイランドを結ぶ新交通システム)も通れない。

そこで私どもの船で『K-CAT』までつないでくれないかという話になりました。」

それには、当時社長だった渡辺さんのお母様に指示を仰ぐ必要があります。しかし、当時の港湾局の課長は「時間がない」と迫り、さらには「先代の社長やったら、いの一番に決めてくれたやろうな」となかなか憎いところを突いてきます。

それだけ差し迫った状況でした。さすがに渡辺さんも「わかりました」と答えるほかありませんでした。

渡辺さん「『で、いつからですか?』と訊ねたところ『明日の朝6時』と言われて『むちゃくちゃやな』と…(笑)。

準備するために各所に電話しようにも、携帯電話も普及しておらず、普通の電話で社員に電話しようにも通信規制でなかなかつながらない。そんな中、市役所の電話をお借りしたらすぐに電話がつながったんです。

ある社員は姉を亡くしたにも関わらず『非常事態やから行きます』と言って来てくれて、運航のトライアルをして『K-CAT』側と打ち合わせして、時刻表も作って。

メリケンパークの船着き場は壊滅状態だったんですけれども、それでも『ポンツーン』と言う浮き桟橋は生き残っていて使えそうだと。」

こうしてなんとか船が着ける手はずが整い、翌1月19日の朝6時から運航が開始されました。神戸港で、震災後一番最初に復旧したのは早駒運輸の船でした。

安藤編集長「私を含めた多くの人が映像を通して空や地上からの神戸の状況はよく見たと思うんですけど、海から見た神戸の状況ってどんな感じだったんですか?」

渡辺さん「いまだになんとも言えないですね。表現のしようがないです。

山はいつもと一緒の山。でも市街地は火事の煙が至るところから上がっていて、港ではガントリークレーンが倒れていて、海にはパレットやコンテナが浮いている。初めて見る光景で、本当になんとも言えませんでした。

街が豹変してしまっているからなのか、変わらない六甲山の山並みが清々しく思えました。そのコントラストも相まってか、すごく印象に残っています。」

「神戸シーバス」が本来の意味での「市民の足」になる裏にはこのような経緯があった。被災しながらも「現場を動かすんだ」という責任感に燃えた人たちがいたということを、私たちは忘れてはなりません。

佐渡裕さんとの出会いと被災地支援

その阪神・淡路大震災の経験もあり、その後発生する東日本大震災や熊本地震、コロナ、そして2024年元日の能登半島地震に関しても、早駒運輸はサポートを続けています。

渡辺さん「我々が事業としている繋離船の協会があるんですけど、東日本大震災の時も福島から宮城、青森と、その協会のメンバーにお見舞いを届けに行きましたし、コロナの時は毎週金曜日の正午に、神戸市立中央市民病院で日々格闘なさっている医療従事者への感謝を込めて汽笛を鳴らしていました。

阪神・淡路大震災の時には個人としても会社としても助けていただいて、人と人との絆とか助け合いを目の当たりにしてきたので。そういう想いが原点としてありますね。」

そして各地で起こる災害への支援という点では、兵庫県立芸術文化センターの芸術監督で指揮者の佐渡裕さんが率いる「スーパーキッズ・オーケストラ」との出会いも大きなきっかけになったと言います。

その佐渡さんとは意外な場所で出会われたそうで…。

渡辺さん「実は甲南小学校のドッジボール部がきっかけなんです。

うちの息子が小学4年生の時に私が監督になって、それからもう15年ほどやっているんですが、当時のドッジボール部を甲南中学・高校・大学を運営している甲南学園の広報の方がすごく応援してくださっていたんです。

その大学のホールを佐渡さんがスポンサー契約されていて、スーパーキッズ・オーケストラの練習場になっていまして、それでドッジボール部のこどもたちに『見に来てくれたらいいですよ』と言ってくださったのをきっかけにお付き合いが始まりました。」

その佐渡裕さんは毎年夏にスーパーキッズ・オーケストラとともに、東日本大震災の被災地に慰問に訪れています。

2015年4月に京都で「第29回日本医学会総会2015関西」が開催された折、開会式でスーパーキッズ・オーケストラは東北の中学校の吹奏楽部と共演しました。そのタクトを振られた佐渡さんは、中学生たちを神戸に招いて「船に乗せてあげてほしい」と依頼してこられました。

渡辺さん「もちろん快諾して準備をしていたんですが、前のイベントの都合で本来夕方に乗ってもらうつもりだったのが、夜になってしまった。

震災の傷もまだ癒えきっていない中、夜に海に連れ出すのは正直心配だったんですが、真っ暗な海と街の夜景のコントラストに子供たちは力をもらったようで、『東北もここまで復興するぞ!』とみんな大感動してもらえてうれしかったですね。」

安藤編集長「boh boh Tシャツをすごい数寄付されたと」

渡辺さん「こども向けの船長体験用としてセーラー服模様がプリントされたTシャツを作っていたんですが、大人用も可愛いよねということで大人用ができて、その1週間後くらいにこの東北のこどもたちのクルーズだったんです。

そしたらboh bohグッズのブランディングプロデューサーをしてくれている私の妻の提案で『今日来ている東北の人たちみんなにTシャツを差し上げよう』ということになり、ものすごく喜んでいただいて、一緒にいらっしゃった佐渡さんにも喜んでいただいて、『今年8月の東北はこのTシャツで行こう!』ということになったんです。

メンバーが60名くらいだったので70枚くらい作ればいいかなと思ってたら、『600枚つくって欲しい』と(笑)。」

まさかの600枚!しかしこれには理由がありました。

4日間で回る場所はお寺の境内やお堂、虫が飛び回る公園などですが、ある旅館では海に向かって鎮魂の演奏をしました。旅館の前の岸壁で何人もの方が亡くなったからです。佐渡さんに演奏を依頼したのはその旅館の女将さんでした。

渡辺さん「そこに各地域の人たちがいらっしゃって、チャイコフスキーとかモーツァルトだけでなく、日本の『ふるさと』とか東北の歌とか、そういうのを演奏するんです。

そこに集まってくる人のためにおにぎりを作るおじいちゃん、おばあちゃん、慣れないながらも駐車場の案内をお父さん、みんな地域の人がやってるんですよね。

それから佐渡さんたちと一緒に演奏や歌を歌う幼稚園や小学校のこどもたち、みんながうちのTシャツを着ていて『あー、そういうことなんやな』と。『なるほど、それは600枚要るわな』と。」

その光景を目の当たりにし感動した渡辺さんは、600枚のTシャツを寄付します。その翌年には冬のツアーということでトレーナーを600枚作り、そして2016年の熊本地震の際には熊本支援のためのTシャツを600枚製作、1年半のあいだにTシャツ、トレーナーあわせて1,800枚を作りました。

その後、東京や大阪のコンサート会場や、被災地の東北でも販売するようになり、売上の一部が寄付されるようになっています。

安藤編集長「いいですね。やっぱり着るものを統一したらなんか心が1つになるような気がしますね。」

渡辺さん「そうなんですよ。その時佐渡さんは『共に心が振れる』=『共振(きょうしん)』という言葉をおっしゃってましたね。私もその言葉が好きです。

演じる側、聴く側、差別なく隔たりなく、同じ想い、同じスタンスでこの音楽を通して出会いが築かれていくんだということですよね。」

その佐渡さんとスーパーキッズ・オーケストラとの出会いは、スーパーキッズ・オーケストラのOB・OGで編成される「スーパーストリングスコーベ」の活動、そして2024年の元日に能登で発生した震災の支援へとつながっていきます。

熱量を伝えるためには自らやる

お話を伺っていると、渡辺さんとブランディングプロデューサーである奥様のお二人が自ら手掛けられているプロジェクトの多さに気付かされます。

例えば、女子ラグビークラブチーム「神戸ファストジャイロ」のスポンサーに名乗りを上げ、啓光学園を花園で7回優勝に導いた記虎敏和さんをスーパーバイザーに、佐藤義人さんを専属トレーナーとして招聘しています。

そしてチームメンバー5名を社員に迎え、競技に打ち込める環境を構築することで、選手たちも徐々に頭角を表してきています。

「スーパーキッズ・オーケストラ」やそのOB・OGで編成される「スーパーストリングスコーベ」の活動は言うに及ばず、boh bohグッズの制作・販売すべてがお二人の旗振りのもと相当な熱量をもって行われています。

渡辺さん「プロの人には怒られるかもしれませんけど、プロに頼んできちっときれいなものができるということが、いいことじゃない時もあるんです。

熱とか愛とか不器用さとかが伝わらない時があるので、社員には申し訳ないけど、デザインを手伝ってもらったり、撮影してSNSに流してもらったりしてます。

実はboh boh KOBEのマークは妻が出したイメージから庄司(※広報担当の庄司さん)が描いたものをそのまま採用しています。

庄司は海運会社に入ったのに全然海運のことしてないですからね。でも、彼は早駒がやっていることの熱い想いや愛を伝えるプロになりつつあります。」

渡辺さんのお話からもその熱い想いや愛がダイレクトに伝わってきますが、これは実際に動いた人じゃないとできません。ダイレクトに人に伝えることを大切にしているからこそ、佐渡さんがおっしゃったように「共振」し共感を呼ぶのでしょう。

さまざまな文化を受け入れてきた神戸だからこそできる「神戸食」

2020年9月に就航した「boh boh KOBE」は以前の船よりかなり大きく、その大きさを活かして海洋療法を体験する「タラソセラピーウェルネスクルーズ」や、ワンちゃんと一緒にクルージングを楽しめる「ドッグフレンドリーシップ」などさまざまな取り組みが行われています。

渡辺さん「現在の船は3階建てなんですが、1階にオープンキッチンを設けました。その時になにかのモチーフが要るなと思ったんですね。

神戸のものでやってもよかったんですが、それだったら船を降りても楽しめるんですよね。ならば神戸の海の上で京都の料亭の味を楽しんでもらおうということにしました。」

渡辺さんは、ミシュラン一つ星を獲得した京都の日本料亭「杦-SEN」の店長兼料理長の杉澤健さんに声をかけます。快諾した杉澤さんは、月に一回の休みのたびに神戸へ来るようになりました。早駒運輸の社員にレクチャーするためです。

渡辺さん「これを『杦-SEN』さん直伝の日本食文化と神戸のこだわり食材を融合させ『神戸食』と銘打って、うちの社員がキッチンに立って作ってくれています。

先日、とある会でみなさんに集まっていただいた時に、「老祥記」の曹さんもいらっしゃってたんですが、『これは本物や!ここまでやんねんな。』と言ってくださって。

これは決して神戸の料理人さんをリスペクトしていないということではなく、海の上で京都の料亭の味に近いものを食べられたらおもろいやろなということだけなんです。

開港以来、神戸はいろんな文化を受け入れてきました。それが今の神戸を形作っていると思うんですが、それと同じように、うちのメインステージである海の上に異文化を入れ込んだと思っていただければ嬉しいですね。」

神戸だから神戸のものではなく、そこにあえての京都。しかもそれを内製化して料理のプロを唸らせる。

一見、地元や料理人を軽視しているようにも思えるアイデアですが、もともと神戸は異国の文化を港から受け入れてきた場所。

その先人たちへのリスペクトがあるからこそ、自分たちがやるからには徹底的にやる。その覚悟が想いとして伝わっていくのかもしれません。

人がやっていないことを一生懸命やる

様々な取り組みを行っている早駒運輸ですが、お話を聞いている中でわかってきたのは「誰もやらなさそうなことをここまでやるんだ」という渡辺さんの気概です。

渡辺さん「私は『出過ぎた杭は打たれない』という言葉が好きなんです。だから徹底的にやる。思いっきり出たら打たれないんで。

出ますけれどもそこにみんなを巻き込んで、一緒に神戸を作っていこうよというのが私の考え方です。

結局スポーツの話も、まちづくりの話も、船の話も全部『人がやっていないことを一生懸命やろう』というところでまとまってるんです。

だから佐渡さんとも濃い仲になるし、佐渡さんが大好きな『スーパーキッズ・オーケストラ』のOB・OGを託してくださるんだと思います。

社員によく言ってるのは『世界一の感動産業になる』という言葉です。資本金をいくらにするとかそういうことではなく、人をいかに感動させるかで世界一を目指しています。」

「ここまでしてくれる」と思うと、人はその想いに応えたいという気持ちになります。ましてそれが他の誰も目を向けていないことならば、その想いは一層強くなります。

早駒運輸が目指す「世界一の感動産業になる」というのは、サポートするスポーツや音楽、まちづくりのどれにとっても、かけがえのない存在になるということに他なりません。

そして、その源泉となっているのが渡辺さんの神戸に対する熱い想いと愛、そして気概であることは言うまでもありません。

ウェルネスシティとしての神戸の可能性

神戸をベースに多くの事業を行う早駒運輸ですが、最後に渡辺さんに神戸の街に対する想いと今後の展望について伺いました。

渡辺さん「神戸はまだまだこんなもんやないと。まだ不完全燃焼してるなと思ってます。

神戸は『山、海へ行く』で開発していって『株式会社神戸市』と言われていたくらい、行政がここまで引っ張ってきたのは確かです。

神戸に本店があるいろんな企業が愛をもっていろいろやってらっしゃるとは思いますが、私たちのような中小企業でもできることはあるというのはどこかしらにあって、大企業にしかできないということはないと思っています。」

早駒運輸は「神戸港“U”パークマネジメント共同事業体」の一員として、メリケンパークからハーバーランド広場までの指定管理者事業を行っています。

その中で、全日本大学アメリカンフットボール選手権大会の決勝戦「甲子園ボウル」で1日だけ使われた使用後の芝をメリケンパークに移植し、メリケンパークでランニングする人に優しい走路を提供しています。

渡辺さんは、「個々の健康『ウェルネス』が今後のキーワードになる。『ウェルネスの神戸』を港からつくる」と語気を強めます。

渡辺さん「関西には京都・大阪・神戸と3つの大きな都市がありますが、京都・大阪と勝負しても絶対神戸は勝てない。それであれば神戸ならではの視点が要ります。

それはなにかと言うと、今SDGsで幸せになろう、健康でいようという時代になってきていて、高度成長というよりも、どれだけ楽しく人生を謳歌するかという時代になっている。

そんな中、新幹線の『のぞみ』が停まる新神戸駅から北へ10分歩いたら滝があるんです。そんなところ、どこにもないんですよ。もうちょっと行ったら見晴らし台があって、六甲山まで行かなくても30分〜1時間くらいのちょっとしたハイキングができるんですね。

かと思えば、神戸には海もある。

海水浴というのは別に海に入るだけが海水浴ということではなくて、陸地に居ても海からのミネラル分がどんどん蒸発してくる。その蒸発したものを体内に入れるということだけでも、充分に海水浴と言えると思うんです。

森林浴と海水浴を1日のうちに同時に楽しめる街は神戸しかないんです。これは京都でも大阪でも東京でも横浜でもできない。

市街地から山と海が近くて、こんなにウェルネスな体験ができる場所はここ神戸しかないと思います。」

海と港という視点から多くの事業にかかわる渡辺さんだからこそ見えている神戸の未来。
企業だけでなく、我々個人も積極的に取り組むことで実現できそうです。

現に新神戸駅には登山支援拠点「トレイルステーション神戸」ができたばかり。登山靴などの山登りに必要なツールをレンタルできたり、登山グッズの販売も行っています。

渡辺さんが言うように森林浴と海水浴を同時に体験する人が増えれば、新神戸駅とメリケンパークを結ぶ観光バス「シティループ」や「ポートループ」を使った観光ルートが主流になるかもしれません。

昨今、船乗りになりたいと思う子供は激減しており、海に囲まれた日本で海運・港湾サービスを行う早駒運輸にとっては気がかりではあります。

しかし、さまざまな事業を通して早駒運輸が「世界一の感動産業」を目指す限り、その火は消えることはありません。

早駒運輸と渡辺さんのあくなき挑戦は続きます。

三宮一貫樓 安藤からひとこと

今回のKOBEZINEいかがでしたか?

取材当日、実は私自身の体調が思わしくない状態でした。しかし、渡辺社長の熱い語りを聞くにつけあれも聞きたい、これも聞きたいと夢中になり、気が付けばあっという間の約3時間。

気だるさを抱えていた身体が嘘みたいに楽になり、むしろ清々しい気持ちで取材チームと打ち上げに繰り出しました(笑)。

まさに「神戸の元気はミナトから」を目の当たりにした思いです。
今後も神戸愛を胸に抱え活動されるであろう渡辺社長の一挙手一投足に注目です。
ありがとうございました!

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