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KOBEZINE

INTERVIEW

2022.2.9

神戸の食文化を守りたい〜若手を育てて人気店を続々と生み出す「有無有限会社」朝山社長が語る想い

Text_山﨑 謙 / Edit_伊藤 富雄 / Photo_相澤 誠(ADW Inc.)

神戸三宮の「バルストロキッチン」「バール・アブク」「HANAZONO CAFE」と言えば、いずれも料理やドリンクはもちろんのこと、スタッフのおもてなしも素晴らしい人気のお店です。

そして、ここから巣立ったスタッフが新しくオーナーとして店舗を構え、それぞれが人気のお店となっていることもまたよく知られているところ。ユニークなのは、もといた店舗の「近くで開業する卒業生が多くいる事」を容認していることです。

上記の3店舗を含めて5店舗を経営する「有無有限会社」の代表、朝山壮一郎さんは「(競合になるのに)お前はアホやなと言われます」と笑います。

ご自身が経営する店舗が人気なだけでなく、ここから独立されたオーナーのお店から、またさらに独立したオーナーのお店も繁盛するという、いわば朝山さん門下生が独自の感性で神戸の食文化を牽引しています。

厳しい飲食業界でなぜこれだけ人気店のオーナーとして活躍できるスタッフが集まるのか?また、阪神・淡路大震災や現在のコロナ禍などの大変な時期をどう乗り切り、そして乗り切ろうとしているのか?

今回、「バルストロキッチン」におじゃましてお話をうかがいました。

<プロフィール>

朝山 壮一郎(あさやま・そういちろう)

有無有限会社代表取締役。1987年、三宮に居酒屋「IN SHOCK TEN」を創業。2店舗に拡大した1995年、阪神・淡路大震災で被災。その経験をもとに1995年10月、「有無有限会社」を設立。2005年「HANAZONO CAFE」、2006年「バール・アブク」、2010年には「バルストロキッチン」「バルストロバー」をオープンし、いずれも人気店舗に。現在は、物販や加工食品の外販も手掛ける。

飲食業界に入るきっかけは中華好き

朝山さんが最初のお店「IN SHOCK TEN」を創業されたのは25歳の時です。中華料理店でバイトをした経験から飲食業界に入り、その後、独立するきっかけになったと言います。

朝山さん「もともと中華が好きで、芦屋の東天閣でバイトしてたんですが、面白かったのはまかないを一緒に食べる時に、円卓に座って大皿に料理を並べてみんなで一緒に食べるんですね。普通だったら先輩後輩みたいなのがあるんでしょうけど、東天閣のコミュニティではそういうのがなかった。そういう分け隔てないところが好きになって、飲食とそのコミュニティにハマっていきました。

その後、東天閣の店長が独立してお店を開かれた時にもそちらでバイトをさせてもらって、それ以来『飲食絶対おもしろい』『絶対独立したい』と思うようになりました。バイトをしながら物件を探していましたね。」

円卓を囲んで大皿で運ばれた料理をみんなで取り分けて食べる。楽しそうに食事をする光景が目に浮かびます。これが飲食業の道を選んだ朝山さんの原体験に違いありません。

阪神・淡路大震災で雇用を守れなかった悔しさ

2店舗体制となっていた1995年1月、阪神・淡路大震災がお店を襲います。最初に立ち上げた居酒屋「IN SHOCK TEN」は半壊、もう1軒の現在の社名にもなっている畳の上で料理をいただくイタリアンのお店「有無」はビル自体が倒壊し、地下にあった店舗は完全に埋もれてしまいました。

当時、まだ会社組織ではなかったのですが、当時8名くらいのアルバイトスタッフを雇っていた朝山さんは、スタッフの雇用を守るために奔走します。

朝山さん「震災から数日してアルバイトの子が心配して来てくれましたが、店がつぶれてるから働いてもらえる場所がない。

本来守る義務もないけど、慕ってきてくれているからなんとかせなあかんと思って、神戸駅前で大阪の友人から送ってもらった発電機を使ってホットプレートで焼きそばを焼いて売ったりしていました。

そこへたまたまテレビ局の取材班が来て『何が一番つらかったですか?』と訊かれたので、答えたのが『雇用が守れなかったのが一番つらい』と。

それでも、震災から25日後に発電機を借りて真っ暗な中で無理やり店を開けて、2名ずつシフトに入ってもらうようにしました。

どうにか失業保険を出せないか、職業安定所に行って相談したところ、さかのぼって雇用保険料を払えば最長3か月まで出せると。

『あ、雇用ってこうすんねや』と学んで、その年の10月に会社組織にしました。『ひとりではできん、人がおらな回らへん』ってことをつくづく理解しましたね。」

それでもスタッフを守ろうと朝山さん奔走し、アルバイトスタッフも自身も大変な状況にある中「大丈夫ですか?」と声をかけてくる。失ったものは多かったかもしれませんが、この体験が会社設立のきっかけになり、現在も続く礎が形作られたようです。

香港返還ブームを予見してはじめた雑貨店が大当たり

震災後、「有無有限会社」を立ち上げたのはよかったものの、当初飲食業はスムーズには行かなかったそうです。そのかわり、1997年の返還を控えた香港の雑貨を取り扱う雑貨店がヒットしました。

朝山さん 「『香港王(ホンコンキング)』という雑貨店をつくって、それが1997年の香港返還ブームに乗っかってめちゃくちゃ当たりました。

実は過去に1回、ビジネスチャンスを逃した経験があって。僕、めっちゃハマる癖あるんですけど、若い頃からバスケが好きで、ラリー・バードやマジック・ジョンソンが居たころ、流行る前のNBAを知っていたんですね。

『これ絶対流行るのになぁ』と思っていたら、マイケル・ジョーダンが出てきてすごいことになって、その後スラムダンクも流行って。『これ(商売と)リンクさせてたら面白かったのになぁ』と。

チャイニーズコミュニティにハマって年に3回は香港へ行ってたし、1997年に香港返還で絶対ブーム来るからこれ逃したくないし、震災でかたちあるものはつぶれることがわかったから、今自分ができるときにやりたいことをやりたいと思ってやってみたら、めっちゃ当たりました。」

さらにこのことが、飲食業にも思わぬ効果を生むことになります。

朝山さん 「『香港王』が当たって、そっちへ行くことが多くなり、社長が飲食の現場でやいやい言わなくなった。結果、店の風通しが良くなって、飲食のほうも規模が膨らんでいった感じですね。」

しかし、朝山さんを慕って食事に来るお客さんもいらっしゃったのではないでしょうか?

朝山さん 「飲食は人につくと言われもしますけど、それはぬるい流行り方。本当に僕に会いたい人は、食べんでも『香港王』のほうに来てくれる。

最近はお子さんをつくられない方も居られるでしょうけど、子供ができたり、家庭ができたり、老けてきたりすると、自分が常時立ってそのお客さんをずっと喜ばせるということは大変なことですよ。」

これは飲食業に限らず、どの仕事でも言えそうです。子育て中の身である筆者にも、朝山さんの言葉は強く響きました。

個性的なOBがどんどん輩出される理由

朝山さんが現場を離れたあと、1997年にはお座敷バー「小松BAR」(1999年掘りごたつバー「IN SHOCK TENの飲酒室」に)、2002年には「バール・アブク」の前身となる「大衆酒場」をオープン。続いて「バルストロキッチン」「バルストロバー」ができた2010年に、飲食業は5店舗体制になります。そしてそれ以降、スタッフが独立し店舗を持つケースが増えていきます。

実は、KOBEZINE第3号にご登場いただいた「Bistro Gallo(ビストロ ギャロ)」の川添義人さんも朝山さんの門下生のおひとり。

なぜ朝山さんのもとには、オーナーシェフとして独立できる人材が集まってくるのでしょうか?

朝山さん 「うちの会社はミーティングが多くて、年1回の全体会議をはじめ、店舗、店長、部長の会議、そして分散してフード会議、ドリンク会議…、ほんといろいろあります。

その中でよく言うのが『主体性』という言葉です。

人を束ねるということは『主体性をもった人間をどれだけ生み出せたか』。で、その『主体性』ってなんや?って言うと、自分で考え発案して行動に起こして、それを最後に検証して反省することです。

そこまで考えてやれるようなサイクルを、何回こなすかによって『主体性』が作られます。なので、『何回それをこなすんや』という話をよくします。MBAまで取ろうとするとそこからシステム化まで行くんですけどね。

会議は定例会みたいなもので、それぞれフォーマットがあって、提出物のここにこれだけ記入して、自分で短くまとめてプレゼンしなさい、みたいな感じなんです。幹部になる人はそこで主体性が身につくと思います。

入りたては喋れなかった人もめっちゃ喋るようになります。川添は途中からガーンと伸びてきましたからね(笑)。」

ただ、言われたことをこなすだけではなくて、自律的に考え、動き、検証し、反省する人材を毎日の仕事の中で育てる。それが朝山門下に人気店が多い本当の理由のようです。

ただ、彼らを送り出す時はさすがに複雑な心境にもなります。

朝山さん 「もちろん、最初から伸びる子もいます。でも、伸びた子らはみんな次のステージに上がりたくなる。うちのクレドにも『個人の夢は会社が応援します』ということを書いてあるんですよ。だから、そのことは快く受け入れて、また新しく入ってくる社員や今伸びつつある人を育てる。

独立する社員を送り出すときは、やっぱり『悲しい』と思うことが多いかな。ただそう思ってもしょうがないから『成功してな』って感じですね。」

OBが語る、朝山さんってこんな人

では、門下生たちは朝山さんのことをどう思っているのでしょうか?

「IN SHOCK TENのLDK」「バール・アブク」「バルストロキッチン」を経て独立し、鯉川筋で「novel」というワインバーを経営されている島誉さんはこう語ります。

島さん 「社長の一番すごいなぁと感じるのは、いつどんな時であろうともスタッフを信じていること、これに尽きます。

どんなダメな店舗でも決して諦めようとはせず、スタッフを信じて何回もトライさせようとする姿勢。スタッフを突き放している社長は見たことがありませんし、何かを押し付けようとしている社長も見たことがありません。決してトップダウンではなく、チームや組織というものをすごく大切にされていると思います。

『アブク』の前身『LDK』というイタリアンのお店で、売上が上がらず閉めざるを得ない時でさえも、諦めずに次のチャンスをくれました。それもコンセプトからすべて僕たちに任すから「またやってみろ」的な。

そこでなにか僕たちの使命感や責任感に火が点いて、『アブク』というお店ができあがったというのが一番の思い出です。すべてを任せてくれたおかげで、独立する前にかなりの経験値を積ませていただいたと思います。」

また、「バール・アブク」「HANAZONO CAFE」を経て、「バルストロキッチン」の一筋西にあるイタリアン「TRATTORIA mocchi(トラットリア モッチ)」に所属されている清水淳史さんのコメントはこうです。

清水さん 「スタッフやお客様の前ではいつも笑顔なのが、一番印象的です。あの笑顔にはいつも勇気や元気をもらえるので、太陽みたいな存在だと勝手に僕はそう思っています。

僕が料理長になったとき、お客様として来てくださって、『得意な料理をおまかせで何品か出してくれ』と言ってくださり、的確なアドバイスをいただきました。

最後に『俺は歳なんやから量を考えろ』とお叱りをいただきました。いろいろ食べて欲しくて出しすぎてしまいました(笑)。

『スタンドコロモ』立ち上げの際、現役で厨房に立っている姿は『現役でもやれるんだぞ』という姿を僕たちに示してくれているようで、かっこよかったです。」

そして、「スタンドコロモ」を経て独立。元町の「cucina LIBERO(クッチーナ・リベロ)」、三宮の「葵LIBERO」、元町の「お晩酌 リベロ前」と3店舗を経営している岡崎健太さんからは、感謝の言葉とともにこんな裏話が寄せられました。

岡崎さん 「人として、とにかく優しくて温かい人です。神戸で今の僕があるのは間違いなく朝山さんのおかげです。独立して見えてきたことは朝山さんはおじいちゃんだったということです。これからも陰ながら応援していただければ幸いです。

ちなみに、『カベルネ・ソーヴィニヨン』と『朝山壮一郎』で完全に韻が踏めるので、我々の間では『朝山ソーヴィニヨン』と呼ばれることもあります(笑)。」

また、前出の川添さんからは、こんなメッセージが届きました。

川添さん 「僕がそれまで出会ってきたオーナーや、社長、上司はかなりのワンマンが多くて大変で(笑)、尊敬よりも「怖い」という想いが先行してました。しかし、朝山社長は全然タイプが違いました。

朝山社長にはホスピタリティとは何か、謙虚さと何かを教えていただきました。人に対し謙虚であり続ける事を体現しているからこそ、あれだけの卒業生を生み出し慕われ続けるのだと思います。

そんな社長に仕事を任せていただき、いろいろな経験をさせてもらった事が現在の自分に大きく影響しています。常にお客さんとスタッフの事を考え、それを伝え続ける姿は、当時の僕には理想の社長像でした。

「LDK」で結果を残せなかった僕に、「アブク」をやらないかと言っていただいた事が一番感謝している事です。本当に大きなチャンスをいただきました。

今でも最前線に立つ姿は、飲食店に立つ若いスタッフにとってもいいお手本になっていると思います。」

スタッフを信頼しているからこそすべてを任せ、トライさせることを厭わない。そして自身の背中で引っ張る。スタッフもそれに応えたい一心でがんばる。いただいたコメントからは、朝山さんに対するリスペクトが溢れ出ています。

そんな彼らに対して、朝山さんはまた別の感情が沸き起こることもあるそうです。

朝山さん 「飲食の世界って圧倒的な積み重ねみたいなものがあって、そこで技術が花開くんですけど、これを社会が蓋してしまって8時間労働のサラリーマン的になり、仕事の面白みもなくなって早期退職していくことも時にはあります。

でも、独立してお店をある程度軌道に乗せた人がたまに来たり、どこかで会ったりした時に、『やっぱ社長って大変やったんですね』って言われて、『おー!やっと理解しよったかー』って思います。

そのたびにいつもホッとして『やっててよかった』と思いますね。

働いている時はやっぱり気づかないですよね。資金繰りだったり雇用のことだったり大変なことがいろいろあるんです。」

自分と同じ経営者になってはじめて分かち合えることもある。そしてそれを共有できる関係になったことも、成長の証と言える。その上であらためて経営者としての朝山さんに、より尊敬の念が増すのかもしれません。

「食事」という文化を残したい

かつての阪神・淡路大震災を乗り越え、35年間事業を続けてこられた朝山さんですが、現在のコロナ禍による危機を乗り越えていく秘訣はどこにあるのでしょうか。

朝山さん 「よく言ってるのは『やせがまん』ですね。実際お金が回らないようになってまた借金が増える。それでも『大丈夫や』って言い続けるのは、強いメンタリティを持ってるからかもしれないです。

でもコロナの最初の2〜3ヶ月(2020年4月〜6月)は、ウン千万ほどがあっという間になくなったし、雇用も守らなあかんし、スタッフには『社長顔色変わった』『言う言葉変になってた』と言われてました。気持ち悪いほどキツかったですね。」

ところで、朝山さんをもってしても「気持ち悪いほどキツかった」と言わしめるコロナ禍は、外食産業全体の危機でもあります。こうした環境の変化を、朝山さんはどうとらえているのでしょうか?

朝山さん 「今回コロナ禍で時短営業を要請されたりしてますが、飲食といういわばひとつの嗜好品は切られてもしょうがないと思われる程度の文化なんかなぁと、すごい悔しい思いです。

実際、コンビニやスーパーで買う弁当や惣菜は、こう言ってはなんですが僕の考えでは『えさ』です。『えさ』は生きるために食わなあかんもの。でも僕らが提供しているのは『食事』であって、そこにはそれに合うお酒や飲み物、空間、さらに食事する愉しさがあるんですけど、それは否定されましたね。

悔しいとは思いましたが、なにか違う手立てはないかと考えて、いま模索しているのは外販です。つまり、店の外で売る。

まだまだ新参者で勉強不足なので高いレベルにはありませんが、こういうところでなんとか生き残らなあかんなぁと思いますね。

そして、このKOBEZINEをご覧になっている人に訴えたいのは『食事という文化を残しましょうな』ということ。これは切に思いますね。」

コロナ禍になり外出しにくい状況にあったとはいえ、「生きるために食べる」ことしかせず、「食事を愉しむ」ことを忘れていたことに思わずハッとさせられました。

朝山さんが言う「食事」には新たな発見や出会いがある。その機会を失わないためにも「食事という文化」は残していかねばならないと痛感しました。

「次、こんな店やりたいです」を大切にする

そんな朝山さんの目には、いまの神戸の食はどう映っているのでしょうか?

朝山さん 「どこ切っても同じっていう駅前の光景がなかったのが神戸やったんですけど、いまはもう神戸も金太郎飴状態になってしまっています。

ビジネスとして金太郎飴をつくっていく人は知り合いにもいますけど、それでもうちが同じ店を絶対につくらないのは、そこで成長した子が『次、こんな店やりたいです』『ほな、金できたからそれやろか』ってのがうちの今までのスタイルなので。

だから僕、儲かってないんですよ。それで『この経営者やったらもう学ぶのこのくらいでええわ』と思って外へ出ていくのかもしれないですね。

経営者としては優しいかもわからへんけど、敏腕ではないですね。だからこの程度でおさまっているって感じかな。」

画一化されたほうがビジネスとしてはコスパがいいのかもしれませんが、それでは何の面白みもありません。朝山さんのもとで成長したスタッフが自分で考えて「次、こんな店やりたいです」と言ってつくった店のほうが絶対楽しいはず。

朝山さんの門下生がさらに独立して各地に散らばれば、神戸の食文化はより豊かで楽しいものになっていくに違いありません。「同じ店は絶対につくらない」という朝山さんの言葉が、神戸の食文化を守るという強い決意のように響きました。

三宮一貫樓 安藤からひとこと

今回のKOBEZINEいかがでしたでしょうか?
神戸繁盛店の源流を辿れば朝山社長に行きつく。
そんな言葉がまことしやかに聞こえるように 神戸のそこかしこに朝山DNAが息づいています。
そしてその門下生たちが皆さん社長のことをリスペクトしている。

文中、朝山さんが謙遜をしつつ「経営者としては・・・敏腕ではないですね」と仰られましたが、
“財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上なり” という言葉に習えば、すでに人として上に達しているであろう朝山さんを経営者として羨ましく思いました。
今後も神戸の食文化をけん引する朝山門下生が多数出てくることを期待してます!

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