「神戸はパンの街」とよく言われます。総務省統計局の家計調査によると、2018年から2020年までの平均で神戸市民のパン購入金額は38,435円と全国平均の31,391円を大きく上回り堂々のトップ。それほど日常生活にパンが根付いています。
今回のKOBEZINEは、創業1946年神戸発祥の老舗「イスズベーカリー」の代表取締役社長井筒大輔さんと、多くのメディアにも取り上げられる人気のパン屋さん「MAISON MURATA」のオーナーブーランジェの村田圭吾さんのお二人のパン職人をお迎えしお話をうかがいました。
<プロフィール>
井筒大輔(いづつ・だいすけ)
1980年生まれ。神戸市出身。辻製パン技術専門学校で製パン技術を学んだ後、9年間「ドンク」(神戸発祥のベーカリー)でパン職人として修行。2012年、当時お父様が社長を務めていた「イスズベーカリー」へ入社。2021年3月に3代目社長に就任。
<プロフィール>
村田圭吾(むらた・けいご)
1985年生まれ。福井市出身。15歳でパン職人を志す。17歳から21歳まで神戸「ビゴの店」(芦屋発祥のベーカリー)で、その後フランスで5年半の修行の後、27歳で帰国。1年半のパン教室講師を経て2015年4月和田岬に「MAISON MURATA」をオープン。
それぞれの道からパン作りの世界に入ってきたふたり
井筒大輔さんは、神戸市内に4つの店舗をもつ「イスズベーカリー」の2代目社長で初代神戸マイスターでもある井筒英治さんのご長男。やはり家業を継ぐことを運命づけられていたのでしょうか?
井筒さん 「はっきり言われたわけではないですけれど、『僕がやるんやろうな』『お前が継げよ』みたいな空気は感じてましたね。
もともと実家が2階に工場がある本社の4階だったので、小さい頃から時間があれば下に行って手伝っていました。そこで働く父親や従業員の姿を見ていたので、パン作りについては子供の頃から体に染み付いてたんだと思います。
大学で何かしらやりたいことを見つけていたら別の道もあったかもしれませんが、4年くらいのときに『辻製パン専門学校に話しといたからな』と父に言われてパンのことを学びに1年通いました。
で、卒業後『ドンクな』みたいな話になって(笑)。私と父とで当時のドンクの社長のところに挨拶に伺って入社しました。」
一方、「20歳のときに28歳までにはとりあえずなにかで稼ぐことを決めていた」という村田さんは、21歳でフランスに渡り5年半の修行の後、27歳で神戸に戻って来られます。しかし、帰国してはじめたのはパン屋ではなくパン教室でした。その理由はなんだったのでしょう。
村田さん 「日本に帰ってきたときにはすでにパン屋をやるって決めていましたし、いくらか手元に資金もあったんですけれど、フランスで働いていて源泉徴収票も何もないから、銀行で借り入れができなかったんですね。なので、青色申告を2回出して実績をつくるためにはじめたのがパン教室でした。
1年半限定でしたけどなぜか人気が出て、その収入で機材を買っていって、ある程度揃ったところでパン屋に切り替えたという感じですね。」
同じパン職人でも対照的な経緯ですが、お二人とも若い頃からパンの道に進むのは運命づけられていたようです。
ところで、福井から神戸に移った時、村田さんが驚いたことがあるそうです。
村田さん 「福井で働いていたお店のオーナーはもともとドンクで全国の立ち上げをやっていた人だったので、味やクオリティに関しては福井のときも神戸のときも変わりませんでした。
ただ、つくる量が圧倒的に多い。福井では1日10万円〜15万円ぐらいの売上しかなかったのが、神戸だとはじめは30万円、後半は40万円、ルミナリエの時期になると50万円。これだけの量をつくれたことですごく勉強になりましたね。」
冒頭、神戸のパンの消費量に触れましたが、まさにそれを裏付けるエピソードです。
ところで当時、村田さんとイスズベーカリーさんがすでにニアミスしていたことがここで発覚しました。
村田さん 「当時、イスズベーカリー本社のある加納町にあるビゴの寮に住んでいて、朝、出勤するときに『すごい量やなぁ』と思ったり、帰ってくるときも『ビゴでも使っている「リスドォル(小麦粉の名称)」はここから運ばれてるんやなぁ』と思って見てました。
そうか、イスズベーカリーってのはビッグボスなんやと(笑)。」
井筒さん 「違う違う違う(笑)。系列に神港食品という粉を卸す会社があるんですよ。」
そういうおふたりが、今日ここで相まみえている、なにか不思議なめぐり合わせを感じます。
「ゼロからイチ」はすごくない。「1から5、5から10、その後」が大変。
さて、井筒さんは村田さんにどんな印象を持っているのでしょうか?
井筒さん 「すごいと思います。代々続けていくのも大変ですけど、ゼロをイチにする創業のパワーって本当に大変やと思います。
パン職人の仕事って朝も早くてしんどいんですけど、その中でも一番しんどいグループに入ってるなと思いますね。
出店場所(和田岬の笠松商店街)らしからぬ商品のラインナップで、その商品に対してよほどの自信がないとあそこで勝負するのはなかなか難しいと思うんですけど、そこで大成功を収めてるところがやっぱりすごいなと思いますね。
それにインスタを見てても思いますけど、本当にストイックなんですよね。尊敬というか、なんて言葉で表していいかわからないくらい。」
しかし、これを聞いた村田さんの反応は意外なものでした。
村田さん 「たぶん、おっしゃってること全部、間違ってると思います。
まず、ゼロをイチにするという話ですが、ゼロを売上年商10億にするというのはとんでもないことだと思うんですけど、ゼロを年商2,600万にするのはそんなに大したことじゃないんです。1日10万くらい売上作ってしまえばいいわけなので。となると、ゼロをイチにするって実はそんなに大変じゃない。
だけど、その1を5にして、5を10にして、個人事業を法人にして、何十人以上雇ったからいろんな法律に対応してとか、売上いくら以上になったからこの税率になりますとか、株式にするのをどうするとかのほうが、圧倒的にハードルが高くて難しいです。
そこに到達したあとの継続ならもう安定期に入っているのかもしれないですけど、伸ばしている最中に従業員何十人も抱えて継続していくっていうのは大変です。例えば、従業員がやめたりするわけじゃないですか。でも、維持するためには補充しなきゃいけない。これは自分にはできない。
うちは今スタッフが10名、アルバイト含めたら15名くらいですけど、1人抜けただけでもしんどい。それが100名単位になるわけで、そのストレスで死んでしまう。だから、ぼくは大きくすることは考えていないです。」
こういうことをはっきり言い切れるところが、井筒さんの言う村田さんのストイックなところかもしれません。
美味しいパンを作って消費者に喜んでもらう。それを自分の事業とする。その方法論は違えども、お互い最善を尽くしていることを認め合い、尊敬していると感じ取れるくだりでした。
神戸のパン文化は神戸っ子のレベルの高い「パン舌」が支えている
神戸はパンのイメージが強い街ですが、お二人はどう感じていらっしゃるんでしょうか?
井筒さん 「私は間違っていないと思います。
東京でなぜ神戸のパンはおいしいのかと訊かれたことがあるんですが、特段神戸でパンがおいしくなるような材料が手に入るってこともないんですよ。
じゃあなんで神戸のパンがおいしいのかと言うと、神戸の方の『パン舌』のレベルが高いからだと思います。パンに対する舌がめちゃくちゃ肥えていて、かつそのプライドが高いですね。
神戸以外でパンを食べたときにだいたいの人が、『やっぱりうちの(買ってる)ほうが安いしおいしいわ』っておっしゃいます。
だから、その期待に常に応え続けている神戸のパン屋は、結果的に日本でもレベルが高い。そういうふうに思います。
もちろん、神戸には古くから外国の方が多くいらっしゃって、日本人よりもパンを食べることが多いので、それに応えるかたちでパン屋が発展したという歴史的な側面もあると思うんですけど、私は神戸っ子の『パン舌』のレベルが高いからだと思いますね。」
その点、村田さんはどうなのでしょう。
村田さん 「神戸っ子の『パン舌』のレベルが高いという意見には賛成ですね。流されない、ていうのを感じます。
建前とかでおいしいって言わない。本当においしいと思ってるから、そのお店が小さかろうが見た目がよくなかろうが、ちゃんと評価してくれますね。
自分の店も最初掘っ立て小屋みたいなめちゃくちゃ小さな店で、『なんでこんなところでこんなんしてるん?』ってくらいのお店だったんですけど、オープン当初から『おいしいわ。店、行きにくいけど』(笑)、『おいしいわ。店、ちっちゃいけど』(笑)と、ちゃんと味で評価をしてくれる人がいてくれたので本当に感謝しています。
その人たちを裏切らないためにも、自分のバゲットのレシピはオープン当初から変えていません。
実は、『ハードトーストないんですか?』ってよく訊かれるんです。ハードトーストってイスズさんの看板商品ですから『またイスズの刺客来たわ』って毎回思うんですけど(笑)、それを訊く人って神戸の人だと思うんですよ。他所の人は多分『ハードトーストないですか?』って訊かない。
そう考えるとやっぱりすごいなぁと思います。神戸の人はバゲットを買うのと同じ感覚でハードトーストを買う。それってハードトーストを文化として、食パンの1カテゴリとして認めているってことなんですよね。
山になっているから山食のほうが軽いってことを神戸の人は知ってるんですよ。角食はどちらかというとしっとり。使う粉によってはもっちりになったりもするんですけど。
山食ってオーブントースターで焼くとさっくりするんですよ。そしてめっちゃボリュームあるように見える。そこらへんに関西人さを感じつつ、『価格』と『おいしいもん食べたいな』のうまく釣り合いとれたところで山食が選ばれているような気がしますね。」
井筒さん 「角食って蓋して焼くんですよ。だから目が詰まってる。目が詰まってる中によく見たらちっちゃい気泡でできた穴があるんですけど、角食は蓋をして焼くので生地が上に盛り上がれないんです。
山食は蓋をしないから、生地が全部上に伸びるんです。目が詰まることなく空洞の量が多くなるので、山食は軽くなるんです。」
村田さん 「そのさっくり軽いのに、バターがめちゃくちゃ乗りやすいんです。さっくりした山食としっとりした角食に同じ量のバターを載せて食べるとすぐわかります。全然違います。
職人目線になっちゃうんですけど、そういうところも含めてうまくバランスがとれる山食やハードトーストを神戸の人は認めていて、それに好みを持っているという感じですね。」
お二人とも神戸っ子の「パン舌」を大絶賛ですが、食の文化を持っているということは誇っていいことでもあり、また守っていきたいことでもあります。これからもしっかりパンを食べて、神戸のパン文化を育んでいきたいですね。
神戸人ならではのパンの味わい方と変わりつつあるスタンダード
神戸のパンをよく知るお二人に、神戸だからこそできるパンの味わい方をうかがいました。
井筒さん 「うちの看板メニューとして『ハード山食』というハードトーストの食パンがあります。これはフランスパンに近い本当にシンプルな配合。だけど、シンプルなものほどつくるのって実は難しいんです。
フランスパンと同じで粉と水とイースト菌しか使っていないのに、食べているうちに甘みを感じられるのは発酵や熟成の力なんです。でも、普通の食パンに比べて相当時間がかかるんですよ。
おそらく神戸以外の人がパンに求めているものは、「ふわふわやわらかい」だと思うんです。その割合が神戸の人は他の都市と比べて少ない気がします。
それこそフランスパン、バゲットだったり、カンパーニュと呼ばれるちょっと酸味のあるパンが他の土地と違って神戸ではよく出るんです。
どちらかというと神戸の人は、食事とともに食べる人が多いからですね。他の土地の人はパンだけを食事として、ウインナーのパンだったり、カレーパンだったりを食べる人が多い。
だから、うちのハード山食は一番シンプルなんですけど一番売れてますね。」
筆者もこの取材の帰りに三宮のイスズベーカリーに寄って「ハード山食」を買ってトーストしてみましたが、もうバターの載りから全然違いました。
普通のパンだとバターがめり込んでうまく塗れませんが、ハード山食は冷蔵庫から出したてのバターでもスーッと伸びていく。そして噛めば噛むほど甘みが出て白ごはんのように毎日食べられる。あっという間になくなりました。
村田さんはどうでしょうか?
村田さん 「三宮に住んでたときとそうでないときの楽しみ方があるんですけど、三宮にはパン屋がいっぱいあるし、当日焼いたパンを買ってその日のうちに食べる。パンの老化を気にすることなく、フレッシュなものを食べるという意識がすごく強かったんですね。
ところが外から三宮に来てパンを買う人たちや、店自体が郊外にあってお客さんが車で買いに来る 場合は買いだめ志向が強くなる。なので老化ということがシビアな問題になってくるんです。
『おたくのパン買ったけど、持って帰って食べてみたら硬かったわ』みたいなことが起こる。
仕方ないんですけど、パンの科学バカのわたしとしては仕方ないで終わらせたくなくて、例えば赤サフインスタントというイーストはふわっとして背丈がほっこりするので、フレッシュなものを食べる場合にはおいしくて全然いいんですけど、ビタミンCが入っているので必然的に食感が硬くなる。
なので、翌日の朝に食べられたりすると硬く感じられてしまう。だから、ビタミンCは自分の店の傾向では使えないんです。じゃあどうしたらその老化を抑えられるかというと、発酵させることなんです。」
パンが老化するというのは、パン業界では通じる話なんでしょうか?
井筒さん 「通じますよ。どんどんぱさついてきますね。」
村田さん 「一貫樓さんの豚まんも老化しますよね。でも、あれはなんでおいしいかというと温め直すからなんです。老化してるんですけど、温め直すことによって再アルファ化してるんですよ。だからおいしいんです。
白米を冷蔵庫に入れたらパサパサになりますけど、おかゆにしたらおいしいじゃないですか。それと一緒ですね。」
なるほど。再加熱をしてくれるから次の日もおいしく食べられると。
村田さん 「豚まんの場合は、温め直すのが当たり前ってベースができあがってるじゃないですか。それがもうすごいことなんですよ。
バゲットを三宮で買って食べる当たり前はフレッシュだから成立しているんです。郊外でバゲットを買って、それを翌日とか、買って夕方6時間経ったやつ食べて『おいしくない』って言われても、そのほうが当たり前なんですよね。
だからその当たり前にどう合わせていくか。そこがすごく難しいですね。」
パン好きが多い土地だけに、要求されるものもレベルが高い。それにどう向き合って対応していくか、日々、試行錯誤の連続です。
ところで、最近、食パン専門店の出店が続きますが、パン職人であり老舗ベーカリーを継いだ井筒さんはどのように見ているのでしょうか。
井筒さん 「食パン専門店の特徴って『甘い』『やわらかい』なんですよ。その甘さは発酵熟成から来る甘さではなくて、乳、糖の甘さなんです。だから奥行きがないんですね。
私の父が『ハード山食』という食パンをつくったんですけど、これは白ごはんのかわりになるものです。毎日食べても飽きない。チャーハンや炊き込みご飯はおいしいけど、味が濃いから毎日食べられないでしょう?だから白ごはんになるようなものがハード山食で、食パン専門店のパンはチャーハンや炊き込みご飯やと思っています。
ただ、私はスタンダードが変わりつつあるんやなと思っています。人の嗜好が変わってきてるんかなと思いますし、食に対する意識も変わってきてるのかなとも思っています。おいしいと思ってるもの自体が変化しているのかなと。これまでノーマルからちょっと外れていると考えられていたものがノーマルになっている気がしますね。」
製法にこだわり変わらないおいしさを多くの神戸っ子が支持する一方で、スタンダードが変わりつつあるという事実。変わらないものを守ることはもちろん大切ですが、消費者の嗜好の変化にも注意を怠らない。三代にもわたって事業を継続できる所以がそこにあるのかもしれません。
「やめるタイミングも決めている」村田さんと「継続することが大事」とする井筒さんの共通点
15歳でパン職人を志し、明確なプロセスをもって自分のお店を持つまでになった村田さん。「大きくするつもりはない」とのことでしたが、これからのことはどのように考えているのでしょうか?
村田さん 「実はやめるタイミングも決めているんです。別に悲観的に捉えているわけでもなんでもないんですけど、自分の息子が軽度の知的障害で。
そういうこともあって会合とかにはできるだけ参加しないで、夕方には家に居るようにしてるんですけど、彼が18歳になる9年後に事業をB型支援(就労継続支援B型)の作業所に切り替えたいと思っています。
もし誰かがパン屋を継続してくれるのであれば、パン屋をやりながらB型支援の作業所をつくるかもしれませんが、B型支援の作業所になると、お金儲けというより労働環境を整えて働きたい人を受け入れるということになるので、たぶんやることもものすごく幅が狭まると思うんですね。
『こんな感じで』というニュアンスを伝えるだけでは仕事はできず、『1+1は2ですよ。だからもう2のことをしてくださいね』という仕事しかできない前提なので、そうなるともうやめるのを覚悟で。9年後、自分は45歳、奥さんは50歳になるんですが、その時点でなにかアクションを起こすと思います。
『僕、この店で生涯やります』ってそんなすごい人が居てくれたら続けると思うんですけど、今の時代『同じ会社で一生働き続けますよ』って人はなかなか出てこないでしょうし。」
ただ、村田さんのような職人技ということではなくとも、ある程度のパッケージがあればやりますという人が、比較的高齢な人にもおられるそうです。現に、三宮一貫樓にも80歳を超えてもシャキッとして毎日豚まんを作っている社員がおります。
村田さん 「そういう人を雇えるような事業づくりっていうのが、自分の中ではB型支援作業所に通じると思いますね。やることが決まってるので。でも、生地づくりというのはそのときどきの変化があって、仕上がりが変わってくると思うんです。
それを同じことを毎日やっている人が調整するのか、それとも全体を見ている指示を出す人だけがそれを知っていればいいのか、そこらへんは自分がこれから組み上げていくものなのかなと思っています。」
息子さんがご自身でできることを全力でサポートして、ゆくゆくは息子さん自身の力で生きていく。このことは、多くの社員を抱える井筒さんもまた、次世代への継承を大きなテーマにしているという意味では同じなのかもしれません。
1946年の創業から75年を迎えた昨年(2021年)3月に代表になった井筒さんは、お父様から継いだ老舗ベーカリーをこれからどう引っ張っていくのでしょうか?
井筒さん 「会社が掲げているビジョンの中で一番大事なのって『創業100年を目指す』なんですよ。売上うんぬんとか店舗を増やすとかよりも、やっぱり継続が一番大事。
私は去年の3月から代表をしていますけれど、たまたま代表の座にいるだけで、これは今の立場として借りてるものだから、次に必ずバトンタッチしないといけない。そのためには求人のこととかもしないといけないので、そういう意味では村田さんとは対極ですね。
本来なら熱い人間が集まって時間も関係なく、『おいしいパンをつくるんだ』『我々はファミリー』という感じなのが一番いいんですけど、そういうパッションをもった人がどこに就職するかって話ですよね。情熱をもった人ってやっぱり独立志向が強いから抜けていくんですよね。これはパン屋の性なのかもしれないですが。
それでも、今居る人と時代の流れとともにやり方を変えつつ事業継承していきたいと思っています。」
当マガジンの編集長である安藤も3代目。家族経営でやってきたのは井筒さんと同じ境遇です。時代の流れに沿って事業継承する重要性はよく理解できます。
イスズベーカリーは今年の9月に本社と工場が中央区加納町から兵庫区駅南通りへ移転し、会社としても大きく変わる時期を迎えます。そして、目標の創業100年まであと24年です。
井筒さん 「その時も代表でいたいですけどね(笑)」
井筒さんと村田さん、同じパン職人でも置かれている境遇、スタイルは違えど、どちらも次世代にバトンを渡して継承していくことには変わりありませんでした。
そして神戸のパン文化はベーカリーやパン職人のみなさんのたゆまぬ努力と追究によるのはもちろんなんですが、それを我々の舌が支えているんだということも忘れてはなりません。
そのことに誇りをもち、パンを愛して続けていくことが、ベーカリーやパン職人を育て、神戸のパン文化を熟成させていくことになるのですから。
さあ、今日もおいしいパンを食べましょう!
三宮一貫樓 安藤からひとこと
いかがでしたか? 多くの神戸の方が何も考えずに受け入れている「神戸はパンの街」の理由を、明確に言語化していただいたような今回のお二人の対談。
納得や共感いただける内容になっていたのではないでしょうか?
生粋の神戸っ子の井筒さん、かたや福井県出身の村田さん。
神戸の中からの視点、外からの視点のバランスも良く、今回は誌面の都合上省かせていただいた「神戸のパン屋さんたちは仲が良い」というくだりも、2人の軽妙な掛け合いの程よい空気感がその証明になるような気がします。
神戸のパンのクオリティを支えているのは職人さんだけでなく、われわれ消費者も寄与している。
そう思うとより一層、神戸のパンに対する愛着が湧いてきそうですね。
非常に楽しい対談をありがとうございました!