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KOBEZINE

INTERVIEW

2019.6.21

神戸とバーとラグビーと〜知る人ぞ知る隠れ家的バー「加納町 志賀」、その店主が語る「変わらないこと」の大切さ

Text_ikekayo / Edit_Tomio Ito / Photo_Makoto Aizawa

何年神戸に住めば「神戸人」と言えるのでしょうか?10年?20年?それ以上?
今回ご紹介するバー「加納町 志賀」は、看板も出さず、住所も電話番号も公開せず、常連客の多くはカードキーで入店するという、一風変わった営業スタイルのお店。そのやり方で20年以上のあいだファンを増やし続け、神戸では知る人ぞ知る独自の存在感を醸し出しています。

その「加納町 志賀」の店主 志賀敏哉さんは、「僕は神戸の人間じゃない、まだ神戸人として認められていないと思う」と言います。それはなぜなんでしょう?

また、志賀さんは今年開催されるラグビーワールドカップにおいての重要なキーマンでもあります。多くの顔を持つ志賀さんから、その哲学をお聞きしました。

<プロフィール>

志賀 敏哉(しが・としや)

京都市出身。神戸市在住。幼少期よりラグビーを始め、大阪体育大学卒業後もクラブチームで活躍。ホテルやバー、デザイン事務所などの勤務を経て、1995年8月に神戸で「加納町 志賀」をオープン。バー経営の傍ら、シガトシヤ環境デザイン工房 取締役として、デザインやディレクション業務もこなす。現在は、神戸にて行われるラグビーW杯のPRアドバイザーとして、公式と非公式を横断しながら、国内におけるラグビーの普及活動に奔走している。ミスター・ラグビーと呼ばれたかの平尾誠二氏とも親交が深い。

意図して「敷居」を保っている

もともと大阪のデザイン事務所に勤務していた志賀さんは、とある神戸の案件に関わったことから1991年に神戸に移住しました。そしてその4年後の1995年、阪神淡路大震災が神戸を襲いました。

志賀さん 「震災が起きて、大阪のデザイン事務所に通えなくなって、3ヶ月自宅待機を強いられたんですが、その間に店やることを決めたんです。だから震災の年の8月にこの店をオープンしました。
本当は、昔、京都のホテルにもいたもんですから、京都に戻ってバーやろうと思ってたんですけど、震災に後押しされて神戸で始めた感じですね。
そんなふうに始めたから、まだ客観的に神戸を見ている感じがしていて、自分は神戸人としてまだ認められていないって、勝手に思っているところはありますね。」

そんな志賀さんのスタンスは、結果的にほどよい「敷居」として店のブランディングにつながっている部分もあるようです。「一見さんお断り」ではないけれど、客はお店のカードキーを持ち、志賀さんにつながるなんらかのツテがないと入店できません。「加納町 志賀」には、気軽にいつでも誰でも行けるわけではないのです。

志賀さん 「僕は『神戸に入ってこない人』みたいに思われているかも。でもそれは決してネガティブなことじゃないと思っています。
神戸には、カウンター全員が常連だったり、街の兄貴的存在が店主だったりっていう店はけっこうあるんですが、うちはそういう立ち位置とはまた違うんですよね。
自分の店っていうのは自分の家みたいなもんなんです。自分の家やから、知らない人や土足で踏み入る人は誰だって入れたくないですよね。それと同じなんです。
あと、お店してると色んな人が「あれ置いた方がいいんちゃう」「食べ物出したほうがいいんちゃう」っていろんなことを言うてくる。それを全部取り入れてたら、お客さんにコントロールされて、店主はだれでもいい店になっちゃうんですよね。だから、僕としては敷居が高い店だと思われるのはありがたくて。
むしろ、お客さんがその敷居を保ってくれてるっていうか。あの店敷居高いよって言われてることで、20年経っても、震災の時からの印象があんまり変わらない店でいられるんちゃうかなと思うんです。」

神戸といえば?

神戸の外からやってきたご自身を「島に赴任してきた医者みたいなもん」と表現する志賀さん。そこで生まれ育ったわけではないけど、たまに頼りにされて、ちょっと疲れた心をお酒とおもてなしで癒やすというバーテンダーは「治癒」という意味で医者に近いかも知れません。
24年に渡り、いろんなお客さんからいろんな神戸の話を聞いてきた志賀さんは、その立ち位置だからこその目線で、神戸には「ならでは」がないと思う、と言います。

志賀さん 「神戸は、京都や大阪と比べたらいかんなとはずっと思ってるんです。たとえば、三都物語というコピーでもてはやされたとき、三大祭と言われて、祇園祭、天神祭、神戸まつりって、そこにはちょっと無理矢理感があった。神戸には祭ってないよなと。
神戸まつりに関しても、人によってはサンバだ、パレードだ、花電車やと、それぞれの認識がバラバラなんですよ。それがちょっと残念やなと。神戸には『神戸といえば◯◯』っていうのんがないなぁと。」

確かに、神戸は大阪や京都と比較され、その特徴をさまざまに表現されます。けれども、それぞれの街に独特の魅力があるわけで、一概に比べることは難しいですよね。
一方で、神戸にはもちろん強みもたくさんあると言います。

志賀さん 「まずは、スポーツに関しては神戸が発祥の地になってるものは多いよね。英国人が開拓したっていう歴史もあるから、サッカーの日本で最初の試合は磯上公園でやってるとか、ゴルフにしたって、テニスにしたってラグビーにしたって、マラソンもそうだし、ボウリングとかダーツとかアメリカのスポーツだって、神戸から入ってきたってのがある。
あと、今風で言えばダイバーシティ。いま、何カ国の人が神戸に住んでるか知ってます?120ヶ国以上なんですって。もちろん、国によっては多い少ないのばらつきはあるかもしれないけど、世界中の多様な人や文化を受け入ているわけでしょ。それで、世界中の料理が食べられるって、これすごいことですよ。」

そんなにたくさんの国からの移住者がいるとは、恥ずかしながら筆者は知りませんでした!しかし、神戸に漂う独特の雰囲気は、そういった人や文化を受け入れるおおらかさがあってこそのモノなのかもしれませんね。

スポーツゴールデンイヤーがはじまる

志賀さんは、「加納町 志賀」の店主という「夜の顔」とは別に、主にクリエイティブワークを手がける「昼の顔」を持っています。そこでは、制作ディレクションやデザイン、コピーライティングや講師など、幅広いお仕事を手がけています。

そして、志賀さんならではの強みはやはりラグビー。小学生の頃から始め、クラブチームにも所属していた志賀さんは、今年開催されるラグビーW杯においては、プロモーションのアドバイザーをしています。

同じフロアにある志賀さんのオフィスにて。
ラグビー愛あふれるディスプレイ。中央の平尾誠二氏のTシャツは亡き平尾氏を偲んで仲間たちでつくったものだそう。

公式と非公式を自由に行き来できるという稀有なポジションに位置し、志賀さんにしかできない多様なアプローチでラグビーを盛り上げているんですね。
しかし、野球やサッカーに比べるとまだ国内では盛り上がりが弱い印象も…。ラグビーの楽しみ方を教えてほしいです!

志賀さん 「ラグビーは、ルールがわかりにくいとか言われますけど、でも2015年に日本が南アフリカに勝ったときってみんなが見てたでしょう。だからルールがわからなくても感動するポイントはあるんですよね。
ただ、試合を楽しんで見たいなら、まず好みの選手を見つけるといいよね。あの人太ってるけどやたら機敏やな、とか、ちっちゃいけど2メートルの人に立ち向かってタックル行った!、とか、そんな部分でもいい。その人だけを見てたら、顔も名前も分かって面白くなってくるから。」

確かに、好きな選手が一人いたら、観戦するのが楽しくなりますね!五郎丸選手に続くヒーローは、私たちが見つけるのかもしれません。

また、ご自身が盛り上げ役として関わるラグビーW杯について志賀さんは「4年に1度じゃない、一生に1度だ」というキャッチコピーは決して大げさではないと言います。

志賀さん 「世界から20カ国が集まるけど、どんな試合でも、もしチケットが取れるなら見てほしいですね。何よりも今回のW杯はアジアで初めて、しかも日本でやるわけだから。 試合だけでなく、世界中から来る人たちの観客席での雰囲気も楽しんでほしい。応援の仕方でも、ビール飲みながらとか日本とは違うかもしれないから。それこそ、ひとつのお祭りだよね。 そしてなにより、日本に勝ってほしいですよね。それでぐんとファンも増えると思うし。 2019年から2021年は、スポーツゴールデンイヤーって言われていて、2019年がラグビーW杯、2020年がオリンピック、2021年がワールドマスターズ関西。このゴールデンイヤーで盛り上がりは終わると思ってる感覚の人たちと、そこからラグビーやスポーツの未来が始まると思ってる人との溝を埋めるのが、僕らの仕事やと思ってるんですよ。」

これからのこと

最後に、志賀さんに「これからの目標や展望はありますか?」とお聞きしました。「なかなかすごい質問ですね…」と前置きしながらも、こんなことをお話ししてくれました。

志賀さん 「この店も10年、20年続けようと思ってたわけじゃなくて気がついたら24年になってたって感じです。僕は『足跡(そくせき)』って言葉が好きなんで、自分しか残せない足跡を残すことができる限りやりたいんですよね。だから、なんか、目標ってあんまり、もともとないんです。
ただ、幸いなのは、デザインの仕事もバーテンダーの仕事も“定年”ってなくって、今年55歳ですけど、まだ若造の部類やと思えるんですよね。だから、今後も続けられる限りやりたいなって思っています。」

「加納町 志賀」20周年の際に作られたメモリアルブック。この店を愛する多くのお客さんからの手記が収められている。

志賀さん 「店を始めた1995年の8月に、客層はこんなんで単価はどうで、どういう人たちに来て欲しいとかを書いたコンセプトシートがあるんですが、これはときどき読み返してます。自分の方向性が間違ってないかとか。それこそ、10年ぶりに来たお客さんに、なんかここの部分こう変わったよね、みたいなことを言われた時に「あれ?」と思って読み返したりしますね。
だからどこまで続けるかの目標とか先のことってあんまり考えてないくせに、過去に言った責任みたいなものはずっと背負ってる感じです。10年ぶりとか、1年に1回記念日に必ず来るとかのお客さんもいてはるので、久しぶりの人が”確認”しに来てるんやと思いながら店やってるんですよ。
いつも決まった時に来る人がいるっていうことは、またこの人、来年のこの時期に来るんやろなってその繰り返しをやってるような感じがするんです。」

志賀さんにとって「変わらない」ということはすごく重要なことのようです。それは街を盛り上げようとか、スポーツを盛り上げよう、W杯を盛り上げようと言っている人たちが、ずっとそう言い続けていられるのか、ということにも通じます。そしてそこには、志賀さんなりのポリシーがあります。

志賀さん 「盛り上げようって言ってるけど、そのテンションほんまにそのまま保てるかって言ったら、やっぱりずーっと言い続けてる人って少ないと思うんですよ。
だから僕は、1995年の8月に店始めた時のお客さんも、最近のお客さんも、その両方がこの店にいなかったら不安ですね。もし、最近のお客さんだけだったら怖い。95年の8月からのお客さんに「志賀ちゃん、ちょっと変わったな」って言われるのはもっと怖いなと思うんです。だから、10年ぶりに来る人から「変わってへんな」って言われたら、それだけでOKなんですよ。
だから変わらないというのは大事で、自分も変わらず同じこと言い続けてるっていう自負だけはあるんです。」

三宮一貫樓 安藤からひとこと

今回のKOBEZINEいかがでしたでしょうか?志賀さんとの対談形式のインタビューを通して、変わらないことの大切さなど私も目が開く部分が多くありました。

ご自身で謙遜されるように「自分は神戸の人間ではないから・・・」と繰り返し仰られる志賀さん。しかし神戸を想い、語り、見据えるその眼差しからは私が知るどんな神戸人よりも神戸愛が溢れています。

志賀さんのようにブレない神戸愛を貫く決意をすると同時にこの想いを共有できる人を一人でも多く発見することが出来れば神戸の未来もそう捨てたもんではないと私は感じます。KOBEZINEでは神戸愛の語り部を引き続き求めていきたいと思います。

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